金町サニーを想う

駒沢公園も桜が満開。一年前、満開の桜を見ながら最後の金町サニー営業を終えたのを思い出す。当時ヘッドコーチを任せていた選手スタッフの長谷川健に店舗を移譲する決断をした。当時のブログには、こう気持ちを記している。

2018年3月末でSUNNY FISH 金町店の営業を終えました。2006年から実に12年間も営業してきた店舗を終えるというのは心にズブリと深く何かが打ち込まれるような気持ちです。金町サニーのコミュニティ自体は、金町サニーのコーチを長年務めてきた長谷川が引き継ぎ、金町トライアスロンクラブとして新たなスタートを切ることになりました。

エリート選手としての活動に区切りをつけた長谷川は37歳。しかし、店舗丸ごと委譲するという形での卒業は、最初から想定していたわけではありませんでした。サニー本体、長谷川コーチ、施設、そして会員さんと全員がハッピーになるために、どのような形に着地すればいいのか、考え抜いての決断でした。この決断は、僕を大きく成長させてくれたように思います。人生の中でもドラマチックな瞬間でした。営業最終日、帰りの車中から見た満開の桜を忘れないでしょう。桜が散れば、新しい若葉の季節。 全ては流れゆくもの。過去を振り返らず、前へ前へ進んでいこうと思いました。

http://blog.livedoor.jp/kodohiramatsu/

金町サニーは立ち上げ数年は赤字続きで黒字化するのに必死だった。毎日の現場をスタッフに任せながら後ろで経営する経験は初めてで、それは大変な経験だった。それも、トライアスロンショップやクラブもないトライアスロン未開の地。朝から泳ぐ文化やトライアスロンのスイムを習う価値を提案するには時期が早かったのかもしれない。それでも、飯田忠司コーチ(現I-Storm代表)との出会いを経て、120名を越える大規模クラブに成長することができた。だから、移譲するにあたっては、苦労して育てたという執着や、本当に温かい会員さんたちと離れる寂しさが入り混じった複雑な感情が渦巻いていた。でも、その個人的な感情の一切を取り払って、みんなの幸せをとる決断ができた(もちろんサニーに運営してもらいたかった会員さんには申し訳なかったけど)こと、自分にとって大きな成長だったと思う。

執着を捨てられる人間でいよう

最終営業日を終えた車中、散りゆく桜と、少し顔を覗かせている若葉を見ながら深い感慨に包まれた。今は寂しさがあるし、会員さんやスタッフからの言動も心に刺さってチクチクしてしまうけど、時間が経てば、いつの間にかザラつく感情もなくなってしまうだろう。

実際、一年を経てザラつく感情が一切消えた訳ではないけど、一番守りたかった会員さんは平穏に朝スイムを楽しんでいてくれている。いずれ会員さんはサニー金町のことは忘れてしまうかもしれないし、もう忘れているかもしれない。けれども、僕の心にはずっと残っている。

そして僕は新しい店舗(菊名サニー)やランニングステーションの開設と、新しい場所にエネルギーを注ぐことができている。

諸行無常の世界ではあるけれども、心の何処かに残るものが作れたらいい。逆に、心に残らないものであれば、それは本当に何もなかったことになってしまう。できれば、自分の心にだけ残るのではなく、誰かの心にも残るような、そんなものを作っていきたい。

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