パリパラリンピック

前回の投稿「寺澤光介の覚醒」では、パリパラリンピックの代表には自力で確定することができず、インビテーション(ワイルドカード)待ちと書いていたが、結果、最後の枠に滑り込むことができ、晴れてパリパラリンピックに出場することになった。

SUNNY FISH としては、大きな目標として「SUNNY の在る場所をトライアスロンの聖地にする」「オリンピック・アイアンマンハワイをプロカテゴリーで出場する選手の輩出」を掲げてやってきた。パラを想定していなかったが、オリンピック同様に国を挙げての国際競技会に日本代表選手を送り出すことができ、感慨深いものだ。

パリ本番に向けては、高地で長期合宿をさせていただき、そしてパリ現地での事前合宿を行った。残念ながらサニーコーチ陣は公式スタッフではないため、現場帯同が難しかったのだが、相変わらずに柳井コーチと森下コーチによる遠隔指導で心身共に良い状態で臨むことができた。パリ本番では、柳井コーチ、金子トレーナーをサニーより派遣。選手村にも入れないし、できることは少ないが、何よりスタッフの経験値を上げる機会となるはずだ。私も、台北から弾丸で合流。



セーヌ川の水質問題で競技日程が前日に変更、そしてデュアスロンの可能性も示唆されるイレギュラーな展開だったが、森下コーチの事前のメントレ準備も手伝い、落ち着いていたように思う。準備がいかに大切かを実感する出来事だった。パリパラを通じて、NFの取り組み方を実体験し、参考になる部分もあったし、またサニーという小さな組織ながらNFより優れている部分も確認でき、私たちとしては非常に大きな学びと成長のチャレンジになったと思う。

肝心の結果だが、スイムをトップで上がる見せ場を作ったが、バイク序盤で落車、11位(12人中)に終わった。それでも、二人の表情は清々しく、良いレース、良いチャレンジだったのだと感じている。素晴らしい経験をチームでも積ませていただいた。

加えて少し私の心境も書き残しておく。これが非常に妙なものだ。パリパラという国際舞台でNFという単位での取り組み、もっと興奮するような、何か特別な感情が湧き立つものと思っていたのだが、それがなかった。冷めてるわけでもないが、はて、これはどういう心境、感情なのだろうか。想定を外れなかったという感じだろうか。この答え合わせは、意外にも10月、自身が出場したアイアンマンハワイで感じることになる。それはまたの機会に。

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